むりむりカタツムリ

着地点がわからなくなった理系大学生

激辛!?教師だらけのいじめ問題!!!ポロリもあるよ

私は高校までの時代、基本的に先生を好きになったことは一度もないし、

無論尊敬したこともない。先生も同様、私のことが好きでなかったように

双方の意嚮も一致していた。

私が中学校でいじめられて苦しんでいる時も先生は、何もしなかった。

大々的にいじめられているわけではなかったので、殴られたり蹴られりするようなものではなくひたすら陰口を言われたり、筆箱を女子に捨てられたりしたくらいだ。

当時は、自分の病気のことと家族問題、学校の居心地の悪さにいつも胸騒ぎがして、

生きているのにどこか宙ぶらりんな状態であった。

自分における社会、家族、学校での立ち位置はいつも私を苦しめた。

先日、実家に帰って部屋を片付けていた時、修学旅行の写真を見つけた。

当時は行くのが嫌で嫌で仕方なぁーなんて当時を振り返っていると

なんとも中学生には見えない疲れた表情の私がいた。笑う。

 

***

 

あまりにも人生に嫌気がさしたので、当時の先生に相談した時がある。

「先生、学校にも家にも自分の場所がないんです。毎日苦痛です。このままだと頭がバグりそうです。」

「そんなの僕に言われても知らないよ。君はもっと自分のことを理解したほうがいいね」

さて、この当時の私の表情や、言動で私が苦痛であり、助けてほしいと思っていたこと。それを当時の教員は気づかなかったのだろうか?

答えは、ノーだ。絶対に気づいていたはずだ。

先生という立場上、自分の教え子をいい方向に導くのが教員の仕事のはずなのに彼らは何もしなかった。何かしようとしたけど、何をすればいいかわからなかったのよ。みたいな答えはナンセンスだ。公務員である立場、普通に仕事をしていれば金がもらえる。一人の生徒を助けたところで、感謝されるかわからないし、むしろ嫌われるかもしれない。面倒な仕事はお断りだ。ってのがあっちの言い分だろう。

先生になんて教員免許があれば誰にだってできる。そこに偏差値は必要がないし、無論信念や志なんてものは紛い物にすぎない。

 

今回の、「激辛カレー事件」がいい例だろう。

きっと彼らは、謹慎期間を終えたら何食わぬ顔で生徒に授業をし始めるのだ。

どの道のスペシャリストでもないくせに、全てがわかってるような顔して。

 

義務教育が終わるまでの期間、生徒にとって学校がすべてのテリトリーであり中心であると思われるだろう。彼らには相談できる、親身になって話を聞いてくれる人たちが必要だし今後生きて行く上での糧になることは必然である。

日本において、問題を抱えた生徒や困んでる人はたくさんいる。それは私たちの目に可視化できるものである可能性が低いということだけだ。

生徒の立場に立って大々的に助けられるのは、先生だ。

今回みたいなことが起こらないように教育委員会に警鐘を鳴らすしかない。

 

そんなことより、the brilliant green最高だね。みんな聞いてね

the brilliant green - Tsumetai Hana / 冷たい花 (Live) - YouTube